About

私である理由

GPSSホールディングス株式会社 代表取締役 社長
国際文化アナリスト  幸福研究家
生きるアシスト.comブレーントラスト顧問
  • 1969年 千葉県生まれ
  • 1988年 慶應義塾高校卒
  • 1993年 慶応義塾大学商学部卒。在学中、米国ペンシルバニア大学へ留学
  • 1993年 メリルリンチ証券入社。東京・ロンドン・ニューヨークで金利スワップを担当
  • 1998年 メリルリンチ証券退社。
  • 1998年 インド、パキスタン、アフガニスタンから東西ヨーロッパまで世界100ヶ国以上を歴訪する旅へ出発
  • 2006年 英国ロンドン大学(LSE)社会人類学修士号
  • 2006年 世界の旅の、続きへ。アフリカ全土、アルゼンチンを中心とした中南米全土を歴訪。

10代後半のころから、日本の社会に大きな疑問を持ち始めた。
「日本は、幸福な人間を作り出す社会ではないのでは?」という疑問だ。
きっかけは19歳。フランス語の短期語学留学でスイスを訪れたときのことだった。
外国人の友人ができ、初めて日本以外の文化に直接触れた瞬間でもあった。
自分とまったく違う文化で育った同世代の若者を目のあたりにして、
「それまで自分が否定され続けてきたことが嘘だったのではないか」と思い始めた。
彼らは思ったことをすぐに口に出し、疑問があれば躊躇なく次々と質問を投げかけてくる。
私はそれに、ほとんど答えることができなかった。

当時の私は、英語もフランス語もほとんど話すことができなかったが、
彼らとコミュニケーションできないのは語学の問題ではないことに気付いていた。
私個人の問題を超越した、生まれ育った社会に根付く大きな部分に問題があり、
社会によって矯正させられてきた自分を発見したのだ。
私には、もっと自分自身が納得のいく人生を送る必要があり、
日本の社会によって「本来自分が求めていたのとは違う方向に仕向けられていたもの」の軌道修正、
つまり文化的な「リハビリ」が不可欠だと思った。
そこから、私の本当の旅が始まったと言えるかもしれない。

フランスへの短期留学を終え、大学4年次にはアメリカのペンシルバニア大学へ留学。
予定ではペン大を2年間で卒業したのちに日本の大学を卒業しようと考えていたが
合計6年をかけて2大学の学部を卒業するのではなく、
1年の滞在でいつでも大学院に行ける英語力を身に着けよう、と思い直し1年後に帰国。

日本で大学を卒業した後、当時アメリカ最大の証券会社であったメリルリンチ証券に入社する。
実は当時から「普通の就職」には違和感があり、一生勤め人で終わるのではなく、
自分で起業をしたいと考えていた。しかし、こんな会社を作りたい、という具体的なアイデアなど特にない。
しかもIT時代がはじまる前の1990年代初頭、学生の私には参入障壁の低い分野でしか起業できそうにない。
ならば、①なるべく最短時間で、 ②最大限の仕事の経験を積める環境、に身を置いて、
ある程度のビジネスの経験を積んだ後に参入障壁の高いことで起業しようと思い、
メリルリンチを選んだのだ。日本の会社には、一切アプローチしなかった。

金融の最先端であるウォール街の技術を使い、世界の動向をお金という視点で追っていく。
メリルリンチ証券での仕事はとても刺激的で、学ぶことも山ほどあった。
しかし4年が過ぎ仕事のやり方もわかってきた頃、私は、金融の世界特有の極端な拝金主義に大きな違和感をおぼえるようになった。

金融業は、現代の錬金術だ。結果としてお金を稼いだ者が勝者であり、稼がない者には人格さえない。
他人はすべて、自己の利益を最大化するための手段。
平気で嘘をつき、騙すこともいとわない金の亡者が蔓延する世界。そんな風潮に辟易してしまったのだ。
このままだと、自分も悪魔に魂を売って、金の亡者になってしまうのではないか、と危惧して退社することにした。

入社した当初の「参入障壁の高い起業をする」という意気込みについても、
金融業界で働くなかで、大きなクエスチョンマークがついてしまった。
起業するということは会社を継続させ、できれば会社を成長させていくことである。
そのためには、利益を継続的に出す必要がある。
利益を出すためには、なるべく小さな投資に対してなるべく大きなリターンを得ることが重要となるが、
金融こそが、実は、それを一番効率よくやっている世界なのだ。
その世界の最先端で、モラル的なジレンマに陥ってしまった自分が、いざ起業をしたところで、
結局はどこかで同じジレンマに陥るのだろう、と予想がついた。
起業への興味は失せ、何をすればいいのかまったく見当もつかなかった。

人間は基本的に、インプット以上のアウトプットはできない
生まれてからそれまで培ってきたすべてが現在の自分を作っているのであるが、
そのインプットが偏ったものであれば、偏った思想や道徳観しか作られない。

自分の人生を振り返ってみると、日本で生まれて日本で育ち、
アメリカで一年、ヨーロッパで数か月過ごしはしたが、所詮は先進国なので
日本の生活様式とはそれほど大きく変わるものではない。
世界はもっと広く、自分が見たことも聞いたこともないような人生観を持つ人々が
五万といるのではないだろうか。
そんな人たちを無視して、限られた環境からのインプットでは、まともなアウトプットが出るわけがない。
ならば、これまで自分が過ごしてきた環境からなるべく遠い環境に身を置いて、
それまで接してきたことのない人たちと喜怒哀楽を共にしてみよう。

こうして私の旅と人生ははじまった。
インドへ、アフリカへ、南米へ、パキスタンやタリバン政権時代のアフガニスタンへ、その先へ。

10年近くにもおよんだその世界の旅が、やがて
いまの仕事、いまの生き方、いまの私のあらゆる活動につながって、
すべてのアウトプットの源となっていることは、
このあとゆっくりと当サイトをご覧いただければ、明らかだろう。