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人生の時間の使い方

さらに言うなら、
好き嫌いを積極的にすること。
情熱的でいること。
自分の直観を信じること。
感性を磨くこと。
脳に刺激を与えること。
限界を自分で勝手に決めずに、何歳になっても新しいことに挑戦していく。
自分が幸せであるか、とつねに自問すること。
国境も文化の壁もなく、いつも世界を視点として考え、行動すること。

いくら自分で計画や予定を綿密に立てていても、
何か新しいものが目の前に現れたとき、ピンとくるものであれば、
計画を中断してでも新しい流れに乗っかってみる。
それによって、まったく想像もしていなかった世界に到達することができる。
すると次にはさらなる未知な世界へ、どんどん進化することが可能になる。

最高の生き方は、旅に似ている。
終わりがなく、刺激的でありながら安らぎもあり、かつクリエイティブで、いつも何かを生み出し続ける。
気の合う仲間と好きなことに囲まれ、徹底的なこだわりももって歩みつづけるのだ

親はしょっちゅう学校に呼び出され、近所の親御さんからもクレームが来ていた。
多くの理由は、いろいろな悪戯をしたため。
例えば、大型犬のセントバーナードが狭いところで飼われていて可哀そうだったので
鍵を開けて逃がしてしまった、など。もちろん、よくけんかもしていた。

また、かなり理屈を言う面倒な子供でもあった。
小学校の校庭で、全員で石拾いをさせられたときのこと。なんでそんな面倒なことをやらされるのか、と反発して、
まじめに石拾いをする友人たちを尻目に砂場へ直行し、
バケツ一杯の砂を抱えて、最後の集合場所に行った。先生は「なんだこれは?!」と激怒したが、
私は「これも小さな石でしょ。小さな石が沢山集まってるだけでしょ」と説明した。
当然、先生はふざけるな、と言ってバケツの砂をその場でぶちまけた。

好き嫌いが多く、親からはいつも注意されていた。
ある時、南米のジャングルではプロテインを多く含むミミズを生で食べたり、
液体にして飲んだりしていると知った。以来、「栄養があるから食べなさい」と言われると、
「じゃあミミズを食べる?タンパク質が豊富で栄養満点らしいよ」と反論した。
さすがに親も「ミミズは食べない」と言うので、「じゃあ僕もこれは食べない」と言うわけだ。

典型的なサラリーマンであった父親を反面教師として、将来は、漠然と「ビッグになってやる」と思っていた。
どうすればいいのかわからないけれども、人生はもっともっと素晴らしいものではないか、と思っていた。
自分が何をしたいかはハッキリしなかったが、少なくとも、普通の人生だけは送りたくないと思っていた。

基本的には、今も幼少期の延長線上でそのまま生きている。
「ビッグになる」という夢も、現実的なものへと姿を変えて、生きている。
より社会的に大きなインパクトを与えること、つまり最大限の社会貢献が、それである。

18歳の時に出会ったカタルーニア人に多大な影響を受けた。
彼は私の人生のメンター的な存在でもあり、世界を深く理解するためのきっかけともなった人物で、
8か国語を操り、国連大学で勤務し、東大の博士課程に入るところでもあった。
彼から日本の社会についての厳しい意見をもらい、世界の現実を学ばせてもらった。
それ以来、日本の社会について第三者的な目で見る癖がついた。

日本の社会は特に「こうあるべき」というルールで人間をがんじがらめにしている。
人々はルールに従うことがあたかも人生の目標のように 振る舞い、
何のためにルールがあるのかなどという疑問を持つことは稀である。
だから私にとっても、自分の「こうありたい」のみを求めつづけることは難しかったが、
人生で絶対にやらなければならないことでもあったのだ。

人に迎合すること。権力に屈すること。媚びへつらうこと。お世辞を言うこと。妬むこと。
自分自身を驕ること。横柄な態度をとること。
頭の固い権威を振りかざす爺さんのご機嫌取りは嫌いだし、やりたくない。
その場しのぎで相手を満足させるような、軽薄なことも言いたくない。
神頼みは20年以上前からやめた。
手を合わせるのは、葬式と他人のためのみ、だ。

そして人を判断するときに、限られた情報で簡単に結論を出さないこと。

というのも私自身、昔から初対面の人にいい加減な判断をされつづけたから。
自分にはいろいろな側面があり、
例えば非常にシャイな部分ととても社交的な部分、というように、
一見すると相反する性質を合わせもっているのだが、
多くの人はどちらか一方しか見ようとしないし、そもそも両方存在するという前提にない。
自分が他人を見るときは、少なくとも一方的な思い込みや偏見を持つことなく、
あらゆる可能性から判断するよう心がけている。

これまでの半生でやってきたことを突き詰めれば
それは自己の追求と、社会へのリベンジの2つ集約できるだろう。
つねに幸福とは何かを考え、つねに自ら体現し、広く社会に浸透する努力をしつづけてきた。
これからの生き方で成し遂げたいことは
もっと幸福になれるはずの人々が、人生を謳歌できるような社会の仕組みをつくること。
現在は、道なかば。まだまだ自分の思想は社会に普及していないが、
会社での働き方やライフスタイルとしてそれを啓蒙することがいま私の視線の先にあり、
10年、20年、30年経っても、きっと今と同じ精神で生きている。

どこの社会でも、基本的に求めている方向は同じなのだ、と私は思う。
人類が意識を持ち、何のために生きているのか、という哲学的な問いかけを始めたときから、
個人という概念が生まれて、のちに幸福の追求をするようになった。
社会はそういった個人の欲求も満たすために作られてきたものであり、
世界中でこれまでいろいろと試行錯誤がされてきた。
イデオロギーによる社会主義や共産主義はその典型的な例である。
社会はトライアンドエラーで変化しつづけるものであり、地球上の場所によって変化の状態が違っている。
それを我々は文化と呼んでいるに過ぎない。

だから文化とは非常に表層的な些末な現象であり、本質的には、
人類が求めている幸福追求のツールに過ぎない。
従って、最終的にすべての社会が意識的に同じことを求めていくであろう。
人権、民主主義、環境問題等は、その例でもある。
しかしながら、表面的に見える部分、つまり文化という点では、
それぞれが違った時間軸と方法で目的を達成していくので、多様なライフスタイルが一般化していくであろう。
いずれにせよ、個人はもっと自由になっていき、
自由になった個人が自分の意志によって社会と積極的につながっていくことになるだろう。

そんな世界の潮流に影響され、放っておいても100年や200年後の日本ならば、今よりずっと個人は自由で幸福になっているだろう。
しかし我々が意識的に改革を進めることで、今から10年や20年後に達成することは可能だ。
現在生きている我々と、次の世代がもっと人生を謳歌するために。
それが私の挑戦でもある。